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今朝、意志力の話を読んでいた
「意志力は使うと減る」。ずっとそう信じていた。頑張れないのは、心のガソリンが切れたから。そう思えば、自分にも少し優しくなれる気がしていた。
でも今朝、その説はもう崩れていると知った。実際に起きているのは、燃料切れじゃないらしい。「これは頑張る価値がない」と、脳が勝手に判定して、動機がそっと降りていく。疲れて無理、なのではなく、いつのまにか手を抜くほうへ心が傾いている。読みながら、少しぞっとした。じゃあ、まじめな人が急に道を外れる、あの瞬間もそうなのか。
そこで思い出したのが、この本だった。銀行の、ある支店。消えた現金。そして、疑われる女子行員と、失踪する男。池井戸潤の「シャイロックの子供たち」。頑張る価値がない、と誰かが心の中でつぶやいた瞬間が、たぶんこの物語のあちこちに埋まっている。
支店という、逃げ場のない箱
舞台は、東京第一銀行の長原支店。ノルマ、数字、上司の顔色。窓口の奥で、みんなが同じ空気を吸っている。そこで、現金が消える。たった百万円。でも銀行にとって、金額の大きさより「合わないこと」そのものが罪になる。
疑いは、ひとりの女子行員にかかる。そして、別の男が失踪する。事件はそこから、ひとつの謎解きに収まらない。章ごとに、語り手が入れ替わっていく。今度はこの人、次はあの人。さっきまで脇にいた行員が、次の章では主役になって、自分の事情を語りはじめる。
だから読み進めるうちに、支店の全員に「その人なりの言い分」があることが分かってくる。融資を断れない人。家庭にひびが入っている人。出世に見放された人。誰もが、それぞれの箱の中で、少しずつ息を止めている。どこで、どう繋がっていくのか。それは聴く人の楽しみに取っておく。
根っからの悪人が、ひとりもいない
この物語の芯は、たぶんそこにある。誰も、生まれつきの悪人じゃない。みんな、普通の人だ。普通に働いて、普通に疲れて、普通に家に帰る。
でも、ある一点で、判断がわずかに傾く。今朝読んだ話でいえば、そこで動機が降りるのだ。「これくらい」「バレなければ」「自分だって我慢してきた」。魔が差す、なんて言葉があるけれど、あれは天から降ってくるものじゃない。すり減った心の底に、静かに溜まっていったものが、あるとき縁からこぼれる。それだけのこと。
読みながら、責める気持ちがどんどん薄れていった。この人を、私は責められない。私だって、同じ箱に入れられたら、同じところで傾いたかもしれない。悪を裁く話じゃなくて、弱さに耳をすませる話。だからこそ、ラストに残るものが、ただの後味の悪さで終わらない。
水橋研二の声が、淡々としているから
ナレーションは水橋研二さん。これが、いい。
感情を盛らない。声を張らない。銀行員たちの独白を、あくまで淡々と読んでいく。最初は、少し物足りないくらいに感じた。でも、それが効いてくる。人が心の中で追い詰められていくとき、外側は案外、静かなものだ。顔は普通に笑っていたりする。その静けさを、声が正確になぞる。
だから、たまに声にわずかな翳りが差す瞬間が、やけに深く刺さる。台詞と台詞のあいだの、ほんのわずかな間。そこに、言葉にならなかった迷いが挟まっている気がする。文字で読んでいたら、たぶん平気で読み飛ばしていた沈黙。それを、耳は拾ってしまう。淡々としているからこそ、崩れる一瞬が際立つ。声で聴く、というのはこういうことか、と思った。
聴き終えて、残ったもの
著者自身が「ぼくの小説の書き方を決定づけた記念碑的な一冊」と語る本だという。半沢直樹の、あの痛快な勧善懲悪とは、少し味が違う。すっきり終わらない。誰かを憎んで終わらない。
残ったのは、静かな理解だった。あの人も、あの人も、頑張る価値がないと心が判定した夜を、たぶん一度は過ごしている。私も、今日それに近いところにいた気がする。仕事で少しすり減って、どうでもいいや、と思いかけた瞬間。
でも、それでいい。この物語は、傾いた人を切り捨てない。ただ、その傾きを見つめる。聴き終えて、責めるより先に、許したくなっている自分がいた。誰かを、というより、たぶん、同じ弱さを抱えた自分を。今日みたいに少しくたびれた夜に、耳の奥でこの支店の空気を吸うのは、悪くない時間だった。