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今朝、比べる仕組みを教わっていた
今朝、社会的比較理論というものを学んでいた。フェスティンガーという人が七十年も前に言ったらしい。人は、自分を測る基準がない時、他人と比べて自分を測る。ただそれだけの話。でも、腑に落ちた。
新しいのは、その先だった。SNSの時代になって、上を見る比較——自分より上の人を見ること——は、平均すると気分を下げる。何度調べても、同じ結果が出るという。手のひらの中に、無限に上の人がいる。そりゃ疲れる。当たり前だ。
学び終えて、ふと思い出した本があった。ずっと積んでいた一冊。『自己肯定感の教科書』。比べる仕組みを知った朝に、こんなにちょうどいい本もない。今日はこれを聴こう、と決めた。
「大丈夫」を、技術として教えてくれる
中島輝さんという人が書いている。この人自身が、長く心を病んでいた時期があったと聞く。だから言葉が軽くない。上から励ましてこない。
本の中で、自己肯定感は「才能」じゃなくて「状態」だと言われる。高い低いは生まれつきじゃない。今この瞬間、上がったり下がったりする波のようなもの。だから、上げる方法がある。技術として教えられる。ここが、この本の芯だと思った。
根拠のない自信でいい、とも言う。実は、根拠のある自信のほうが脆い。根拠が崩れたら、一緒に崩れるから。何もなくても「まあ、大丈夫」と思える土台のほうが、ずっと強い。聴きながら、少し肩の力が抜けた。
比べる自分を、責めなくていい
比べてしまうこと自体は、悪じゃない。それは、脳の古い仕組みだから。今朝の学びと、この本が、同じことを違う言葉で言っていた。
問題は、比べたあとに自分を殴ること。あの人はできて、自分はできない。あの人は幸せそうで、自分は。——そこで手が止まる。本は、その手を止める。比べる自分に気づいたら、ただ気づく。気づいて、戻る。それを繰り返すだけでいい、と。
簡単じゃない。頭ではわかる。でも夜になると、また比べている。それでも、責めなくていいと知っているだけで、落ちる速度が変わる。底に着く前に、ふっと止まれる。
声だと、言い訳ができない
この本、文字で読んでいたら、たぶん飛ばしていた。「わかってるよ」と思って。自己肯定感、なんて、耳タコの言葉だから。
でも声だと、飛ばせない。松本章太郎さんのナレーションは、押しつけてこない。淡々と、隣に置くように読む。「あなたには価値がある」みたいな一文が、飾りのない声でぽつんと来ると、目で滑らせていたはずの言葉が、耳の奥に引っかかる。
台所で洗い物をしながら聴いていた。手は動いている。逃げ場がない。だから、届いてしまう。文字なら「はいはい」で済ませられた言葉が、声だと、済ませられない。それが、聴くことの少し怖いところで、いいところだ。
聴き終えて、比べたまま、でも
聴き終えても、明日からきっとまた比べる。人と比べて、勝手に落ち込む。それは変わらないと思う。仕組みなんだから。
ただ、比べたあとが、ほんの少し変わる気がする。あ、また比べてる。今朝あの理論で習ったやつだ。この本で聴いたやつだ。——そう思えるだけで、比べる自分と、それを見ている自分の間に、わずかな隙間ができる。その隙間が、たぶん「大丈夫」の正体なんだと思う。
誰かと比べて擦り減った夜に、この一冊を耳に入れてみてほしい。すぐに強くはならない。でも、責めるのを、少しだけやめられる。それで、じゅうぶんだ。