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消耗の段階で気づくのが一番安い、という話を読んでいた
今朝、バーンアウトの研究を読んでいた。マスラックという人が作った尺度の話。燃え尽きは三段階で進む。まず情緒的な消耗感。次にシニシズム、冷めてしまう段階。最後に、達成感が落ちる。順番に進む。
で、いちばん引っかかったのがここだった。最初の消耗感の段階で気づいて手を打つのが、一番安く効く。逆に言うと、「あの人、最近ちょっと冷めてるな」と外から見えた時点では、もう二段目に入っている。手遅れ気味のサインなんだそうだ。
冷めて見える。だからこそ、誰も心配しない。よくできてるな、と思った。いちばん助けが要る形が、いちばん助けを呼ばない形をしている。そのことをぼんやり考えていて、ああ、と思い出した本がある。青山美智子さんの「月の立つ林で」。あの本に出てくる人たち、みんな、ちょうどその段階にいた気がする。
五人と、ひとつのポッドキャスト
話の作りはシンプルだ。五つの短い話が並んでいる。長く勤めた病院を辞めた元看護師。売れない芸人。娘や妻との距離が変わっていくのを持て余している整備士。早く自立したい女子高生。それぞれ、ぜんぜん関係のない場所で暮らしている。
共通しているのは、みんな同じポッドキャストを聴いている、ということ。「ツキない話」という番組。タケトリ・オキナと名乗る人が、月のことをしゃべっている。ただそれだけの番組。月の満ち欠けとか、そういう話を、淡々と。
五人の誰も、その番組で人生が変わったなんて思っていない。ただ、耳に入れている。作業しながら、寝る前に、移動中に。そういう距離感で、その声はそこにある。誰がどう繋がっていくのかは、聴く人の楽しみに取っておく。ただ、繋がりが見えた瞬間の感触は、たぶんずっと覚えている。
「頑張れ」でも「休め」でもない声
この本が効く理由が、朝の学びと重なった。ここに出てくる人たちは、誰も励まされていない。
タケトリ・オキナは、リスナーの誰のことも知らない。ただ月の話をしているだけ。だから、頑張れとも、休めとも言わない。言えない。なのに、聴いている人の中で、何かが少しだけずれる。位置が変わる。
朝もうひとつ読んだ、心理的柔軟性の話がここに刺さった。ACTという考え方の核は、思考を「事実」として扱わないこと。「私はもうダメだ」を、事実じゃなくて、ただ浮かんだ考えとして一歩引いて見る。この本がやっているのは、まさにそれだと思った。月の話をされると、自分の悩みが、ちょっとだけ遠くなる。遠くなると、それが事実じゃなくてただの考えだったことに、勝手に気づく。誰にも指摘されずに。自分で。
励ましは、受け取る側に体力が要る。擦り減っている人には、その体力がもうない。だから、励まさない声が要る。この本は、そのことを知っている。
ラジオを、ラジオとして聴く
これを耳で聴くのは、はっきり得だ。理由は単純で、作中でみんなが耳で聴いているから。
川﨑芽衣子さんと松本章太郎さんの二人が読んでいる。この配役が効く。地の文の五人と、番組のパーソナリティの声が、はっきり別の場所から届く。だから、番組が始まる瞬間の切り替わりが、耳でわかる。ああ、いま、この人はラジオを点けたな、とわかる。文字だと、ここは行間や書体で処理される部分だ。それが、音だと、音そのものになる。
とくに、番組パートの語りの遅さがいい。急がない。間が長い。情報を届けようとしていない声。あれは、聴き手を急かさない人の声の速度だ。目で読むと、たぶん少し速く読んでしまう。耳だと、その速度を勝手に決められない。向こうの速度に、こっちが合わせるしかない。
その「合わせるしかない」が、たぶん、この本ではいちばん効く体験だと思う。
聴き終わって、月を見上げたわけではないけれど
聴き終わって、劇的に何かが変わったわけじゃない。次の日も普通に仕事をした。
ただ、一個だけ残ったことがある。自分が今どのへんにいるのか、たまに測ったほうがいいな、ということ。消耗の段階なのか、もう冷めているのか。冷めてしまってからだと、自分では気づけない。冷めている人は、自分が冷めていることを問題だと思わないから。
この本の五人も、誰も自分から助けを求めていない。求めていないまま、勝手に少しだけ動いていく。月みたいだな、と思った。満ちるも欠けるも、本人が決めているわけじゃない。ただ、位置が変わっていくだけ。
夜、何もする気が起きない日に、これを流しておくのはいいと思う。何も要求されないから。ただ月の話をされて、へえ、と思っているうちに、明日が来る。それで十分な日が、たしかにある。