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今朝、リズムのことを考えていた
今朝、修辞のことを勉強していた。三段リズム、というやつ。「来た、見た、勝った」。3つ並べると、人の記憶に残る。2つでは、足りない。4つでは、多い。3が、ちょうどいい。そういう話だった。
言葉には、増やして効かせる技術がある。畳みかける。反復する。並べる。読んでいて、なるほどと思った。上手い文章は、たしかに足し算をしている。
でも、途中で手が止まった。詩は、逆じゃないか。詩は、増やさない。削る。一行に、ぜんぶ入れる。そう思ったら、この本のことが浮かんだ。ナ・テジュの『花を見るように君を見る』。削ったあとの言葉だけで、できている本。
115編、という数のこと
韓国の詩人、ナ・テジュの詩集。115編が入っている。ブログやツイッターでよく引用された作品を選んで、まとめたものらしい。つまり、誰かが読んで「これだ」と思って、他の人に渡したくなった言葉たち。そういう集まり。
一編が、短い。数行だけのものもある。ページを、埋めない。行間のほうが、広いくらい。
花を見るように、君を見る。タイトルからして、もう、ほどけている。理屈を、言っていない。ただ、そう見る、と言っているだけ。なのに、なぜか、ずっと残る。
足す技術と、引く言葉
詩は、余白で語る。書いていないところに、いちばん大事なものが置いてある。読む側が、そこを自分で埋める。だから、人によって、届く場所が違う。
今朝の学びと、つながった。三段リズムは「足して」効かせる。詩は「引いて」効かせる。方向は、まるで逆だ。なのに、行き着く場所は同じだった。人の、まんなか。
擦り減った日には、長い文章が読めない。頭に入ってこない。目が、上を滑る。でも、一行なら。数行なら。入ってくる。何かを解決してくれるわけじゃない。ただ、隣に、いてくれる感じがする。それで、じゅうぶんだったりする。
声で聴くと、進めない
これは、聴くのがいい。読んでみて、そう思った。詩は、もともと声のものだった。黙って読むより前に、朗読があったはずだから。
河本啓佑さんの声が、一編を読む。読み終わって、少し、間がある。その間に、さっきの一行が、ゆっくり降りてくる。急がない。急げない。
目で読むと、つい次の詩に進んでしまう。速い。速すぎて、味が分からないまま通り過ぎる。もったいない。でも声だと、進めない。読み手の呼吸に、こっちが乗せられる。だから、一編ごとに、ちゃんと立ち止まれる。それが、いい。
聴き終えて、残るもの
全部は、覚えていない。詩集って、そういうものだと思う。ぜんぶ抱えて帰る本じゃない。
でも、ひとつか、ふたつ。残る。ふとした時に、あの一行が、戻ってくる。信号を待っている時とか。眠れない夜とか。それでいい。むしろ、それがいい。
今日学んだ三段リズムは、たぶん明日、文章を書く時に使う。技術だから。でも詩は、使わない。使うものじゃない。心のどこかに、置いておくもの。花を見るように、君を見る。そんなふうに、誰かを見られたら。そう見てもらえる人に、なれたら。聴き終えて、そんなことを、ぼんやり考えていた。