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「してください」と「という選択肢もあります」の差
今朝、心理的リアクタンス理論というものを学んでいた。1966年、ブレームという人が出した考え方。人は自由を奪われそうになると、その提案が正しいかどうかに関係なく、反発する。だから「〜してください」より「〜という選択肢もあります」の方が、同じことを言っていても届く。
なるほど、と思った。で、そのあと少し考え込んでしまった。じゃあ、反発する自由すらない人は、どうなるんだろう。
上司から言われたことに、反発できない。断れない。「選択肢もあります」なんて優しい言い方、してもらえない。命令だけがある。逃げ道がない。そういう場所に、いま実際にいる人。反発は、自由がある人にだけ許された贅沢なんじゃないか。そう思ったとき、蔵書のリストの中に、この本があったのを思い出した。
被害者も加害者も、わからない
「悲鳴だけ聞こえない」。織守きょうや。新米弁護士の木村が、顧問先の企業からパワハラ調査を依頼される。ここまではよくある設定に見える。でも、この本の入口はちょっと変わっている。
投書はある。パワハラが行われている、という訴えはある。なのに、誰が被害者なのかわからない。誰が加害者なのかもわからない。匿名の紙切れ一枚だけが、会社の中で何かが起きていることを示している。木村は社員一人ひとりに話を聞いていくしかない。
この設定が、聴きながらじわじわ効いてきた。だって、名乗り出られないってことじゃないか。声を上げたのに、名前は書けなかった。書けない理由があった。訴えたい、でも自分だとバレたら終わる。その板挟みが、投書一枚に全部詰まっている。書いた人はどんな気持ちでそれを投函したんだろう。ずっとそれを考えながら聴いていた。
誰も、悪人の顔をしていない
聞き取り調査が始まる。木村が社員に会っていく。ここが、この本の一番いやなところで、一番すごいところだと思う。
誰も、悪人の顔をしていない。話を聞けば、みんなそれなりに筋が通っている。厳しく言ったのは仕事のためだった。あの人はちょっと打たれ弱いところがある。自分は普通にやっているだけだ。悪意がある人なんて、ほとんど出てこない。それなのに、誰かが確実に潰されている。
これ、心当たりがある人は多いと思う。私にもある。あの職場で起きていたことは、あとから振り返れば明らかにおかしかった。でも渦中にいたときは、誰も「これはパワハラです」なんて札を下げていなかった。空気だった。全員が少しずつ加担していて、誰も自分が加担しているとは思っていない。悲鳴は、たしかにそこで上がっていた。誰も聞こえないふりをしていただけで。タイトルが、そういうことなんだと途中でわかる。
堀曜宏の声が、証言に体温をつける
ナレーターは堀曜宏。この本、声で聴いてよかったと心から思った。理由がはっきりしている。
これは聞き取りの物語だ。つまり、ほとんどが人の証言でできている。文字で読むとどうしても「Aさんの証言」「Bさんの証言」と情報として並んでしまうところを、声はそうさせない。この人はちょっと早口だ。この人は言葉を選んでいる。この人は、いま少し黙った。同じ「知りません」でも、まったく違う知りませんに聞こえる。
とくに間だ。答える前の、あの一瞬。文字なら読点ひとつで通り過ぎるところに、声だと空白が生まれる。その空白が、こわい。何かを言おうとして飲み込んだのか、思い出そうとしていただけなのか、判断がつかない。木村と一緒に、こっちも耳を澄ませている。読んでいるんじゃなくて、聞き取り調査に同席している感覚になる。この本にとって、それは装飾じゃなくて本質だと思う。
聴き終わって、朝の学びに戻ってきた
終わり方については書かない。どう繋がるかは、聴く人の楽しみだ。ただ、聴き終えてしばらく動けなかったとだけ言っておく。
そして、朝に学んだあの理論のところに戻ってきた。人は自由を奪われると反発する。裏を返せば、反発できているうちは、まだ自由が残っている。この本に出てくる人たちが怖いのは、反発する力そのものを削られていく過程が描かれているからだ。最初は変だと思う。次に、自分がおかしいのかもと思う。最後には、何も思わなくなる。悲鳴が消えるんじゃない。悲鳴を上げる回路が壊れる。
だから、いま仕事でしんどい人にこそ聴いてほしい、とは正直言いにくい。刺さりすぎるかもしれない。でも、もし自分の周りに、最近やけに静かになった人がいるなら。あるいは、自分がその静かな人になりかけているなら。この本は、その静けさに名前をつけてくれる。名前がつくと、少しだけ息ができる。
耳から入ってきた誰かの証言が、寝る前まで頭の中で反響していた。あれは物語の中の人の声だったはずなのに、どこかで聞いたことのある声だった。