※本ページはアフィリエイト広告(PR)を含みます。
期待は、中立ではいられないらしい
今朝、ピグマリオン効果を学んでいた。ローゼンタールとジェイコブソンの、あの有名なやつ。
面白かったのは、期待というものが中立でいられない、という部分だった。上に効くか、下に効くか。どちらかにしか転ばない。しかも効いているのは「念じる力」ではなくて、期待した人がとる四つの行動だという。雰囲気。フィードバックの量。教える量。そして、発言や挑戦の機会をどれだけ渡すか。
つまり、誰かに期待するというのは、その人に「話させる場面」を増やすことなのだ。念じるのではなく、渡す。そう読んだ瞬間に、なぜか一人の高校生の顔が浮かんだ。灰色の、やる気のない、でも聞かれれば答えてしまう男の子。折木奉太郎。
やらなくてもいいことなら、やらない
米澤穂信の「氷菓」。神山高校に入学した折木奉太郎は、省エネ主義を掲げている。やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければいけないことなら、手短に。それが彼のモットー。
ところが姉の命令で古典部に入部させられ、そこで千反田えるという同級生に出会う。彼女には妙な癖がある。気になったことがあると、目を見開いて「わたし、気になります」と言う。それだけ。それだけなのに、奉太郎は動いてしまう。
物語は、日常のなかの小さな謎からはじまる。鍵のかかった教室。返却されない本。誰も死なないし、血も流れない。それでも彼らは考える。そして三十三年前の、ある文集の題名にたどりつく。氷菓、という言葉が何を意味していたのか。それは、聴いてもらったほうがいい。
「気になります」は、期待の一種だ
聴きながら、朝の学びとつながった。千反田えるがやっていることは、まさにあれだ。奉太郎に「話させる場面」を渡し続けている。
彼女は奉太郎を褒めない。励ましもしない。ただ、目の前に問いを置いて、じっと待つ。あなたなら分かるはずだ、とは一度も言わないのに、その態度の全部が「あなたなら分かるはずだ」になっている。それを浴び続けた人間が、どうなるか。
省エネ主義は、たぶん本当に楽をしたい主義ではなかったのだと思う。期待されないことに慣れた人の、身の守り方だった。誰も何も求めてこなければ、失望させることもない。灰色でいれば、傷つかない。だから彼は自分に何も期待していなかったし、それを主義と呼んで、きれいに畳んでいた。そこに一人だけ、畳んだものを勝手に広げてくる人が現れた。悪気なく。心の底から、気になっているだけで。ピグマリオン効果の実験は教師と生徒の話だったけれど、期待を渡すのに資格はいらない。同級生でもいい。隣にいる人でいい。それが、今朝いちばん腑に落ちたところだった。
声で聴くと、面倒くささが可愛くなる
この作品、活字で読むと奉太郎の一人称は少し理屈っぽい。斜に構えていて、口は悪い。
ところが声で聴くと印象が変わる。土師亜文さんの読みは、あの独白を淡々と運んでいく。声を張らない。感情を盛らない。だから、彼が渋々動きはじめる瞬間の、ほんのわずかな温度の差が聞こえる。ため息のような間。ちょっとだけ早くなる語尾。「仕方ないな」の中に混ざる、隠しきれない興味。
千反田えるの「わたし、気になります」も、文字だと一行なのに、声だと空気がぜんぶ変わる。あそこで奉太郎が観念する理由が、耳だと分かる。逃げられないのだ、あの声からは。地の文と会話が同じ人の声で流れてくるぶん、奉太郎の内心と彼女の言葉が同じ空間で鳴っている感じがして、教室の距離がそのまま出る。
灰色は、たぶん色の名前ではない
聴き終えて残ったのは、謎の答えではなかった。奉太郎が、自分でも気づかないうちに変わっていく速度のほうだった。
ゆっくりだ。本当にゆっくり。彼は最後まで省エネ主義を撤回しないし、性格が良くなるわけでもない。ただ、聞かれたら答える。考えろと言われたら考える。その繰り返しの積み重ねが、いつのまにか彼を薔薇色の側に少しだけ押している。本人だけが、それに気づいていない。
自分は何にも期待されていない、と思っている人がいるとして。その人が本当に足りていないのは能力ではなくて、話す場面の数なのかもしれない。今朝そう学んで、夜にそれを物語の形でもう一度見た。学びが先で、本が後だった。順番が逆でもよかったと思うけれど、今日はこの順番だった。それだけの話だ。