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借りるのと、盗むのは、どこで分かれるのか
今朝、著作権の「引用」の要件を学んでいた。
他人の文章を、自分の文章のなかに使っていい。ただし条件がある。出どころをはっきり書く。自分の文章が主で、借りた部分が従であること。借りた部分が、見てすぐ分かること。要するに、借りるなら借りるで、きちんと名乗れということだ。名乗らずに持っていけば、それは引用ではなくなる。
そこで、ふと題名が浮かんだ。「この本を盗む者は」。盗む、という強い言葉。引用の線の向こう側にあるものを、そのまま題名にしてしまった本だ。今日はこれを聴いた。
本が好きではない子が、本の家に生まれた
主人公は高校生の深冬。曾祖父は書物の蒐集家で、父は巨大な書庫「御倉館」の管理人をしている。本に囲まれた家だ。なのに、深冬は本が好きではない。
あらすじにある一行が、頭から離れなかった。「ああ、読まなければよかった! これだから本は嫌いなのに!」。本が嫌いな子の、叫びだ。
本の好きな人の物語は、たくさんある。でもこれは逆。好きでもない本の番を、否応なく背負わされる側の話。ここがまず、自分には新鮮だった。
題名どおり、本を盗む者には何かが起こる。何が、どうやって、は伏せておく。どう繋がるかは、聴く人の楽しみだ。
好きになれない、のままでいい
この本の芯は、そこにあると思った。
好きにならなきゃいけない。そう思うほど、人は離れる。家業だから。家族が大切にしているから。立派な書庫があるから。理由が重いほど、息が詰まる。
深冬は、無理に好きにならない。ただ、目の前のものから逃げきれない。その不器用さが、素のまま描かれている。
仕事でも、勉強でも、そういうことはある。好きじゃない。でも、いま自分の前にある。そのとき背中を押してくれるのは「好きになれ」ではなく「それでも、ここにいるあなたでいい」という声なのだと思う。この本は、その声に近い。
耳で聴くと、本が嫌いな子の隣に座れる
読むのが苦手な人は、いる。文字を追うだけで疲れる人も、いる。
聴くなら、ページをめくらなくていい。洗い物をしながらでも、歩きながらでも、声は勝手に入ってくる。本が好きではない深冬の話を、本が苦手な人が耳だけで聴ける。ちょっと可笑しな、でも優しい形だと思った。
ナレーターは矢野亜沙美さん。声の温度や間は、文字だけでは分からない部分だ。深冬のため息のようなところを、声で聴けるのはオーディブルの良さだと思う。
聴き終えて、本棚の前でちょっと止まる
聴き終えて、最初に思ったのは、本を「持つ」ということだった。
今朝の引用の話に戻る。借りるなら、名乗る。出どころを示す。それは、相手への敬意の形だ。本も、きっと同じ。誰かが書いたものを、誰かが守ってきたものを、自分が手に取る。
本が嫌いな子の物語が、いちばん本を大事にする話になっている。そこが、この本のいちばん好きなところだ。
明日、ちょっとだけ、好きではないことにも向き合ってみようか。そう思えた夜だった。