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評価と、思いやりは、別のものらしい
今朝、心理学のことを学んでいた。自己肯定感というやつと、セルフ・コンパッションというやつは、実は別物なんだと。前者は「評価」で立っている。うまくいった、褒められた、勝った。だから自分に価値がある。後者はちがう。失敗した瞬間にこそ働く。人間なんだから当然、という前提で、自分に手を置く。
面白いのは、成長マインドセットの話も同じ日に読んだこと。「努力すれば伸びる」を無条件に振りかざすと、うまくいってない時に撤退できなくなる、と。結果でなく、プロセスを見る。評価の外に、いったん出る。
そこで、ふと思い出した本があった。伊坂幸太郎の『逆ソクラテス』。帯にこう書いてある。——敵は、先入観。ああ、今日学んだことは、たぶんこれの話だ。
「僕は、そうは、思わない」
五つの物語が入っている。主役は、小学生。担任の先生に「お前はこういうやつだ」と決めつけられた子。運動が苦手だと烙印を押された子。前の学校での評判を、そのまま引きずられた子。
先入観というのは、大人の側にある。この子はこの程度、あの子はああいう性格。ラベルを貼って、貼ったことすら忘れる。そこへ、子どもがぽつりと言う。「僕は、そうは、思わない」。声を荒らげるわけじゃない。ただ、思わない、と。
この一言が、静かに世界をひっくり返す。誰かの評価を、そのまま自分の答えにしない。決めつけてくる大人に、正面から反論するのでもなく、迎合するのでもなく、ただ「そうは思わない」と持っておく。子どもが、それをやる。どう転がっていくかは、聴く人の楽しみに取っておく。
評価の外に、立てるか
この本の芯は、たぶん、ここにある。人は、他人の評価を内面化してしまう。「どうせ自分は」の「どうせ」は、たいてい誰かに言われた言葉のなれの果てだ。先生に、親に、クラスの空気に。それがいつの間にか、自分の声みたいな顔をして居座る。
今朝学んだセルフ・コンパッションと、不思議とつながった。失敗した自分を、評価で殴らない。人間なんだから、で受け止める。子どもたちがやっているのは、それの、もっと手前の版だ。まだ殴られる前に、「そうは思わない」で、先回りする。
大人になった自分には、これがけっこう、効く。仕事で結果が出ない夜。あの人にこう思われている、と勝手に決めて、勝手にへこむ夜。そういう時に、この本の子どもが隣で言う気がする。それ、ほんとにそう? って。
声で聴くと、その一言が、置かれる
この本には、目で読むのと、耳で聴くのとで、違いの出そうな場所がある。「僕は、そうは、思わない」の、間だ。
文字だと、たった一行。目は一瞬で通り過ぎる。でも声で語られるなら、ナレーターがそこに置く間が、そのまま聴き手に届く。読むと流れてしまうものが、聴くと、置かれる。
朗読は松本健太さん。
この本に残る一言
この本で記憶に残るのは、あらすじより、あの短い言葉ひとつだと思う。僕は、そうは、思わない。
今朝の心理学の話と、この本は、ひとつの線でつながる。評価で立つ自分と、評価の外に立つ自分。決めつけてくる声と、そうは思わない、という声。
うまくいかない夜がくる。誰かの言葉に、自分の輪郭を勝手に削られる夜がくる。そういう時に、この本の子どもたちを、もう一度耳から呼び出せばいい。明日、ちょっとだけ、そうは思わない、と持っておける。それだけで、少し違う。