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今朝、一方通行の関係について読んでいた
パラソーシャル関係、という言葉を今朝学んでいた。こちらは相手をよく知っているのに、相手はこちらを知らない。そういう関係のことを言うらしい。テレビの中の人、配信者、本の書き手。ずっと「一方向」の代表例として扱われてきたものだ。
面白かったのは、その前提のほうが最近ゆらいでいる、という話。応答するもの、こちらに合わせて変わっていくものが相手だと、それは一方通行と双方向のあいだのどこかにある、と。中間、という言い方をしていた。白でも黒でもなく、名前のついていない場所。
その「中間」という言葉が、朝からずっと引っかかっていた。それで、本棚を眺めていて手が止まった。この本のことを思い出したからだ。対話でできている本。相手はこちらを知らないのに、なぜか、こちらに向かって喋ってくる本。
満員電車を、ある日降りてみる
主人公は、朝の電車に乗っている。毎日おなじ時間、おなじ車両。特に不幸でもない。ただ、なんとなく息が浅い。そういう人だ。ここは説明しなくてもわかると思う。読んでいる側にも、たぶん心当たりがあるから。
その人が、ある日、降りる。降りたところから話が始まって、そこから先は、ずっと誰かとの対話になる。答えを渡される本ではない。むしろ逆で、聞かれるほうが多い。何がほしいのか。誰の人生を生きているのか。それは本当にあなたが決めたことなのか。
映画監督が書いた本だ、と聞いていたので、もっと画の強い話かと思っていた。全然ちがった。派手な場面はほとんどない。ずっと、言葉が転がっているだけ。それなのに、途中から逃げ場がなくなってくる。読んでいるはずが、いつのまにか、問われている側に座らされている。
答えを配らない、という優しさ
自己啓発の本は、たいてい親切だ。こうしなさい、と言ってくれる。三つのステップとか、朝の習慣とか。それはそれで助かるし、実際に助かったこともある。ただ、あれは受け取ったその日がいちばん元気で、あとはゆっくり抜けていく。
この本は、それをやらない。やらないから、しんどい。しんどいのに、なぜか読むのをやめられない。たぶん、こちらの答えを勝手に決めてこないからだと思う。決めてこないというのは、突き放しているようで、その人の分を空けて待っている、ということでもある。
擦り減っている時に読むと、そこが効く。励まされたいわけじゃない夜がある。頑張れと言われると、いま頑張っていないことになってしまう夜。この本はそれを言わない。ただ、あなたは何がしたいんですか、と聞いてくる。答えられなくても、怒られない。
耳で聴くと、質問の向きが変わる
これは声で聴いてよかった。というより、対話篇は耳のほうが正しい形なのかもしれない、とすら思った。
紙で読むと、対話は「他人どうしの会話を横から見ているもの」になる。カギカッコがあって、話者が交代して、こちらは観客席にいる。ところが音になると、その壁がなくなる。問いかけが、ページの中で完結しない。耳から入って、こちらの胸に当たって、そこで止まる。答えるまで、次に進んでくれない感じがする。読点のところで一瞬ためる、あの間が、たぶん全部やっている。
池添朋文さんの声は、押してこない。教える人の声ではなく、隣に座っている人の声だ。声を張らない。急がない。だからこちらも身構えないで聴いてしまう。身構えていないところに、まっすぐな質問が来る。これがいちばん効く。
そして今朝の話に戻る。相手はこちらを知らない。録音された時点でこちらは存在すらしていない。完全な一方通行のはずなのに、聴いている間、こちらはたしかに応答していた。心の中で言い返したり、黙り込んだりしていた。中間、というのは、こういうことなんじゃないか。関係が双方向かどうかは、相手の側だけで決まるわけではないのかもしれない。
降りたわけではないけれど
聴き終えて、電車を降りたりはしていない。仕事は続いているし、明日も同じ時間に同じことをする。この本を聴いたからといって、人生が切り替わったりはしなかった。そういう本として紹介するのは、たぶん嘘になる。
ただ、残ったものはある。降りるかどうかではなくて、いま乗っているこれは自分が選んだものか、という問いのほうだ。選んでいるなら、それでいい。何も変えなくていい。まずいのは、選んだ覚えがないまま何年も乗っていることのほうだ。この本が置いていったのは、その一点だけだった気がする。
答えは、まだ出ていない。出さなくていいと思っている。どう繋がっていくのかは、聴く人それぞれの楽しみとして残しておきたい。ただ、聴き終わったあと、しばらくイヤホンを外さずに黙っていた。何も鳴っていないのに、外す気になれなかった。あの数分間が、この本のいちばん良かったところだと思う。