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没頭は、ちょうどいい難しさで起きるらしい
今日、フロー状態について学んだ。没頭している時の、あの感じ。時間を忘れて、自分がいることも忘れている状態。
読んだ限りでは、課題が簡単すぎても、難しすぎても入れない。ちょうどいい手応えのところで、人は没頭する。そういう話だった。
読みながら、ひとつ思い出した。耳で聴く本は、この「ちょうどよさ」がある気がする。手は空いている。目も自由。なのに、声だけがずっと前へ進んでいく。置いていかれない。先回りもできない。
その感覚に一番近かったのが、この本だ。米澤穂信『本と鍵の季節』。
利用者のほとんどいない、放課後の図書室
主人公は堀川次郎。高校二年の図書委員。放課後、同じ図書委員の松倉詩門と当番をしている。利用者はほとんどいない。
この設定だけで、もう聴きたくなった。にぎやかな事件現場ではない。静かな図書室。カウンターの内側に座る二人。
松倉は背が高くて、顔もいい。目立つ存在。快活でよく笑うのに、ほどよく皮肉屋。あらすじにある「ないいやつ」という言い方が、いい。完璧じゃない。そこがいい。
この本はミステリだ。でも、最初に耳に入ってくるのは、謎よりも二人の距離感だった。どう繋がっていくのかは、聴く人の楽しみにとっておく。
謎より先に、人を聴いていた
聴いていて、何度も思った。この二人の会話が好きだ、と。
軽口。皮肉。ちょっとした間。仲がいいのか、そうでもないのか、わからない感じ。高校生の頃の、友達とも呼びきれない友達の空気。あれが、ちゃんとある。
ミステリを聴いているのに、気づけば人を聴いている。この人は何を考えているんだろう、と。謎を解く面白さと、人を知っていく面白さ。その二つが、ゆっくり重なっていく。
ここから先は、書かない。聴いた人だけが、自分の耳で確かめてほしい。
声で聴くと、図書室の静けさまで聞こえる
この作品のナレーターは三人。会話が中心の物語だから、声が変わるたびに場面の空気が変わる。
紙で読んでいる時、会話の「間」は自分で作る。でも耳で聴くと、間はもらうものになる。ふっと黙る。少し遅れて返事が来る。その数秒に、言えなかったことが詰まっている気がした。
皮肉が、声に乗るとやわらかくなる。活字では棘に見えた一言が、笑い混じりだとただの照れに聞こえる。そういう発見が何度もあった。
夜、部屋を暗くして聴いていると、自分もカウンターの端に座っているようだった。耳だけで、放課後にいた。
聴き終えて、残ったもの
聴き終えたあと、大きな感動で胸がいっぱいになる、という感じではなかった。もっと静かなものが残った。
人のことを、どれくらい知っているつもりで生きているんだろう。そんな問いが、小さく灯った。身近な人ほど、知らないことがある。そして、知らないままでも、隣にはいられる。
今日学んだ「没頭」は、こういう時間のことだったのかもしれない。難しすぎず、簡単すぎず。ただ、声に身をまかせて、時間を忘れる。
ひとりの夜に、静かな場所がほしくなったら。放課後の図書室に、耳だけで座りにいってみてほしい。