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タッパーを叩く人と、聴いている人
今朝、知識の呪縛というものを学んでいた。1989年に名前がついた現象らしい。自分が知っていることは、相手も当然知っているはずだ、と無意識に思い込んでしまう。
有名な実験がある。机をタッパーで叩いて曲のリズムを鳴らす。叩いた人は「これくらい伝わるだろう」と50%くらいは当ててもらえると予測する。実際に当たったのは2.5%だった。20倍のズレ。
頭の中では曲が鳴っている。メロディも歌詞も全部。でも相手に届いているのは、コツコツという音だけ。この差が、見えない。自分には見えない。……それで、思い出した本がある。声を失った女の子の話だ。
猫について行った先が、本屋だった
主人公の瑛麻は、あることがきっかけで声が出なくなっている。療養も兼ねて、下宿することになる。その道すがら、不思議な猫に連れられて着いた先が、〈楡屋敷〉という美しい洋館だった。
一階には〈書林コマドリ〉という本屋がある。彼女はそこでアルバイトを始める。二階では、本好きの下宿仲間たちと暮らす。
設定を並べるとメルヘンに聞こえるかもしれない。でも聴いているうちに、これは静かな話だと分かってくる。声が出ない人が、本に囲まれて暮らす。喋れないまま、人と関わっていく。逃げ場としての本屋、ではない。もっと厄介で、もっと具体的な毎日が始まる。
喋れない人のほうが、よく届く場面がある
瑛麻は喋れない。だから伝えるのに手間がかかる。書く。指す。表情で示す。相手が読み取るのを待つ。
その手間が、こわいくらい効いてくる。彼女は、相手に伝わったかどうかを、毎回確かめざるを得ない。伝えっぱなしにできない。省略ができない。タッパーを叩いて「伝わっただろう」と勝手に判定する、あの近道が、彼女には使えない。
朝に学んだ話が、ここで裏返しになった。知識の呪縛への対策として実証されているのは、心構えではなく具体化だという。「初心者のつもりで」と念じてもダメで、具体例を出すこと、確かめること。瑛麻がやっているのは、まさにそれだった。喋れないという不自由が、そのまま丁寧さになっている。
声を失った人の物語が、伝えることについて、いちばん誠実に書かれている。この皮肉が、この本の芯だと思った。
喋らない主人公を、声で聴く
ここが、この作品をオーディブルで聴いた最大の理由になる。
喋れない主人公の物語を、朗読で聴く。矛盾しているようで、これがものすごく合っている。ナレーターの池田海咲さんの声は、瑛麻の内側の言葉を担う。口から出ない言葉が、耳に流れ込んでくる。
そして、間だ。瑛麻が何かを伝えようとして、相手がそれを読み取るまでの、あの空白。文字で読むと一行の空きでしかない。声だと、本当に無音が続く。数秒。息を詰めている感じまで伝わってくる。
この無音が、しんどくて、いい。伝わるのを待つ時間って、こんなに長いのか。読んでいたら絶対に飛ばしていた時間を、朗読は飛ばさせてくれない。
残ったのは、静けさだった
聴き終えて残ったのは、静けさだった。ドラマチックな読後感ではない。ただ、耳の奥がしんとしている感じ。
洋館。古い本。猫。下宿仲間との、少し不器用な距離。ひとつずつは小さい。全部が終わったあとに、なぜか自分の部屋のほうが静かに感じられる。
そして、少しだけ喋り方が変わった気がする。ちゃんと伝わったかな、と一拍置くようになった。タッパーを叩いているのは、いつも自分のほうだ。
本屋がなぜ〈裏口ヨリ〉なのか。瑛麻の声がどうなるのか。そのあたりは、聴く人の楽しみとして伏せておきます。夜、明かりを落として、耳だけで入っていくのがいちばん合う一冊でした。