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今朝、自分の頭の癖を一つ、覚えた
利用可能性ヒューリスティック、という言葉を今朝おぼえた。人は、思い出しやすい例ほど「よくあること」「大事なこと」だと錯覚する、という頭の癖のこと。しかも判断を歪めるのは、思い出せた数じゃなくて、思い出すときの「楽さ」らしい。すっと出てくると、それだけで本当っぽく感じてしまう。
面白いなと思った。というか、ちょっと怖かった。自分がふだん「これはこうだ」と決めているものの、けっこうな割合が、ただ思い出しやすかっただけなんじゃないか。根拠じゃなくて、手触りで信じていたんじゃないか。
そのままの気分で、前から気になっていたこの本を再生した。アダム・グラントの『THINK AGAIN』。タイトルの直訳は、もう一度考えろ。今朝の自分に、これ以上ない角度から刺さってきた。
考えを変えるのは、負けじゃないらしい
この本がずっと言っているのは、シンプルだ。自分の考えを、疑えるか。手放せるか。更新できるか。頭のよさよりも、その「考え直す力」のほうが、これからは効くよ、という話。
耳に残ったのは、人の考え方には三つのモードがある、というくだりだった。検察官みたいに相手を論破しにいくモード。政治家みたいに周りに好かれようと合わせるモード。伝道師みたいに自分の信念を守りにいくモード。どれも、自分が最初から正しい前提で動いている。そのどれでもなく、科学者みたいに「自分の考えは、いま検証中の仮説」として持つといい、と。
私はたぶん、日によって全部やっている。人と話しながら、心のなかでこっそり論破の準備をしていることもある。それを言われた気がした。責められた感じじゃなくて、静かに肩を叩かれた感じ。
「わからない」を、こわがらなくていい
この本の芯は、たぶんここにある。自分がまちがっていたと気づくことを、負けや恥じゃなく、身軽になる瞬間として描いているところ。著者は、自分の間違いを見つけたときに「うれしい」と感じられる人がいる、と紹介する。だってそれは、昨日より少し賢くなった証拠だから。
そう言われると、ずいぶん楽になる。ずっと、意見を変えるのは一貫性がない人、ぶれている人、みたいな空気があった。でも本当は逆で、証拠が変わったのに考えを変えないほうが、頑固で危ういのかもしれない。
今朝おぼえた頭の癖と、きれいに手をつないだ。思い出しやすさで信じてしまう自分がいる。だからこそ、ときどき立ち止まって「これ、本当にそうだっけ」と自分に聞き直す。この本は、その問い直しを、こわいことじゃなく気持ちいいことに変えてくれた。
声で聴くと、素直に食らえる
自己啓発やビジネスの本って、文字で読むと、どこかで身構えてしまう。「はいはい、要するにこういうことでしょ」と、読む前から論破モードに入ってしまう。まさにこの本が言う、いちばんダメな聴き方で。
でも、耳で聴くと不思議と抵抗が薄れる。ナレーターの落ち着いた声が、こちらの防御をそっとほどいてくれる。話しかけられているうちに、いつのまにか「たしかに」と小さくうなずいている。反論の準備をする隙を、声のリズムが与えてくれない。
研究の話も、具体例も、耳だと物語みたいに流れていく。ページをめくる手間がないぶん、内容そのものと素手で向き合える感じがした。皿洗いをしながら、歩きながら、自分の思い込みが一枚ずつはがれていく。悪くない時間だった。
聴き終えて、ちょっと身軽になった
聴き終わって残ったのは、大きな決意みたいなものじゃない。もっと小さい。明日、誰かと意見がぶつかったときに、心のなかで一拍だけ置けたらいいな、くらいの。「自分が正しい」を、いったん下ろしてから話せたら、と。
考えを変えられる人でいたい。ぶれない自分より、更新できる自分のほうが、たぶん機嫌よく生きられる。今朝の学びと、この一冊が、そう思わせてくれた。
頭を柔らかくしたい夜に。自分の「正しさ」に少し疲れた夜に。この本の声は、責めずに、そっと考え直させてくれる。何かを覚える本というより、身のこなしを軽くしてくれる本だった。