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「らしい」で決めてしまう癖のこと
今朝、代表性ヒューリスティックというものを学んでいた。むずかしい名前。中身は単純だ。「いかにも○○らしい話」ほど、人は本当だと思いこむ。でも「らしさ」と「実際にそうである確率」は、別物。条件を足して具体的にするほど、そのストーリーは信じたくなるのに、確率としてはむしろ下がっていく。
頭ではわかる。わかっていても、私はやる。目の前の人を見て、この人は善い人、この人はたぶん危ない、と一瞬で棚に入れてしまう。顔つき、肩書き、しゃべり方。それっぽさで、勝手に決める。
そういえば、と思い出した本がある。ずっと「この者は、神か、悪魔か」と問い続ける物語。神っぽい、悪魔っぽい。その「っぽさ」を、最後まで私に握らせてくれなかった小説。柚月裕子の「ミカエルの鼓動」だ。
手術室に、ロボットと天才がいる
舞台は大学病院。心臓外科。手術支援ロボット「ミカエル」を推し進める医師・西條がいる。彼は真面目で、慎重で、患者のために最善を積み上げてきた人だ。聴いているうちに、こちらも西條の側に立っている。この人が正しい、と思ってしまう。
そこへ、ドイツ帰りの天才が現れる。真木。手が速い。判断も速い。まぶしいくらいの才能。でも、まぶしいものには影がある。西條は真木を見て、揺れる。信じたいのに、信じきれない。この男は、患者を救う神なのか。それとも何か別のものを見ている悪魔なのか。
私は西條と一緒に揺れながら、朝の学びを思い出していた。真木は、いかにも「天才医師らしい」。その「らしさ」で、私は真木を善にも悪にも置ける。置けてしまう。だから、置かないで聴くことにした。決めないまま、運ばれることにした。
この本が、静かに刺してくるもの
医療の話なのに、これは人を裁く話でもある。神か悪魔か。白か黒か。私たちは決めたい。決めれば、楽だから。あの人は敵、この人は味方。そう貼れば、もう考えなくていい。
でもこの本は、その楽をさせてくれない。真木の言葉、真木の手、真木の沈黙。ひとつ知るたびに、さっき貼ったラベルがはがれる。はがれて、また貼りたくなって、またはがれる。命とは何か、医療は誰のためのものか——問いは重いのに、説教くさくない。物語が、勝手にこちらの中でその問いを立ててくる。
読み終わりが近づくころ、気づく。神か悪魔かを決めたがっていたのは、真木のためじゃない。私が、安心したかっただけ。人を一言で片づけて、自分を守りたかっただけなんだ。
声になると、迷いが体に入ってくる
これはオーディブルで聴いてよかった、と思った本だった。西條の迷いが、活字だと目で追ってしまう。声だと、間で来る。言いよどむ一拍。飲みこんだ半呼吸。長良真里さんのナレーションは、その「言いきれなさ」を消さずに置いてくれる。
手術の場面は、声だと張りつめる。息を詰める。私も詰めていた。真木がひとこと言う。その声の温度で、こちらの判定がまた揺れる。神っぽく聞こえたり、悪魔っぽく聞こえたり。文字で読むより、たぶん、私は何度も揺らされた。
耳は、決めさせてくれない。目は先の行に飛べるけど、耳は今の一音しか受け取れない。だから結論に走れない。ただ、いまの声を、いまだけ聴く。この本の「決めるな」というテーマと、聴くという行為が、静かに噛み合っていた。
聴き終えて、まだ決めていない
聴き終わって、部屋が静かになった。で、あの人は神だったのか、悪魔だったのか。私はまだ、決めていない。決められない、が正しい。どう繋がって、どこに着地するかは、聴く人それぞれの中で結ばれるものだと思うから、ここでは伏せておく。
ただ、ひとつ持って帰れたものがある。朝に学んだ「らしさで決めるな」が、夜には物語の温度で私の中に入っていた。知識で入るより、ずっと深いところに落ちた。
明日も私は、誰かを一瞬で棚に入れるんだろう。癖はそう簡単に消えない。それでも、棚に入れる前にほんの少し止まれたら。この本を聴いた意味は、たぶんそこにある。