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今朝、言い訳の話を学んでいた
セルフ・ハンディキャッピング。今朝、そういう言葉を学んだ。失敗したときの言い訳を、先に用意しておく癖のこと。前の日に準備をしない。体調が悪いと周りに言っておく。そうしておけば、うまくいかなくても自分のせいにならない。うまくいったら、そんな状態でもやれた自分すごい、になる。
怠けているわけじゃない、と書いてあった。失敗を予期したときの、保険。それを読んで、少しうつむいた。心当たりがある。ないと言えたらよかった。
そのまま、この本のことを思い出していた。ペッパーズ・ゴースト。伊坂幸太郎。少しだけ先が見えてしまう男の話だ。先が見えるって、保険を張らなくていい人生なのか。それとも、保険を張る意味すら消える人生なのか。そこが引っかかって、もう一度、最初から聴き直した。
先が見えてしまう国語教師の、妙に軽い日常
檀先生。中学校の国語教師。特別な力を持っている。ただし派手なものじゃない。ほんの少しだけ、この先を見てしまう。世界を救えるほどじゃない。宝くじで人生が変わるほどでもない。中途半端な力だ。
そこがいい。本人も、それをどう扱っていいか分かっていない。だから日常はふつうに進む。職員室があって、生徒がいて、些細な校則違反があって。先生はやれやれと思いながら、そのへんを歩いている。
そこに、ひとりの女子生徒の書いた小説の原稿が挟まってくる。風変わりな話。学校の話でもない、先生の話でもない、まったく別の世界の物語。原稿は原稿として進んでいく。先生の日常は日常として進んでいく。二本の線が、ただ並んで走る。どう繋がるのかは、聴く人の楽しみに残しておく。
先が見える人は、言い訳を置けない
聴きながら、朝の学びに戻っていた。言い訳を先に置くというのは、結果がまだ分からないからできることだ。分からないから、そこに保険が挟める余地がある。
檀先生には、その余地がない。少しだけ、見えてしまうから。それでも動かなきゃいけない。準備しなかったことにもできない。体調のせいにもできない。逃げ道が塞がれた状態で、それでもふつうに授業をして、生徒の話を聞いている。
この本の芯は、たぶんそこだ。特別な力を持った人が、その力で世界をどうにかする話じゃない。逃げ道のない状態で、それでも今日をやる人の話。読んでいて胸に来るのは超能力の場面じゃなくて、先生がなんでもない顔で職員室に座っている場面のほうだった。
耳で聴くと、二本の線が混ざらない
この作品、紙で読むと少しだけ迷子になる人がいると思う。日常と原稿、二つの世界が交互に来るから。今どっちだったっけ、と戻りたくなる瞬間がある。
オーディブルは、そこが違った。声が二人いる。岡井カツノリさんと、三木美さん。線が変わると、声が変わる。混ざらない。手で戻さなくても、耳が勝手に仕分けてくれる。この作品にとって、これは相性がいいなんてものじゃない。ほとんど、この形のために書かれたみたいだった。
檀先生の声が、また妙に軽い。深刻な男の声じゃない。抱えているものの大きさに対して、声が軽すぎる。最初は違和感すらあった。でも二時間くらい聴いていて、ああ、と分かった。抱えている人ほど、声は軽くなる。重いまま出したら、周りが立てなくなるから。だから軽くする。あの軽さは、演技じゃなくて、その人の生き方の音だった。それに気づいた瞬間、通勤の途中でイヤホンを押さえた。
聴き終えて、残ったもの
終わったあと、しばらく次を再生できなかった。悲しいとか、驚いたとか、そういうんじゃない。ただ、静かだった。
残ったのは檀先生の背中だった。先が少し見えて、それでもどうにもできなくて、それでも明日また学校に行く人の背中。派手な決意の場面はない。ないほうがいい。
自分は、先を見る力なんてない。だから、朝の学びのとおり、これからも言い訳を先に置いてしまう日はあると思う。でも、ひとつだけ変わった。置いた自分を責めなくてもいいらしい、と知った。責める代わりに、置かなくて済む日を少しずつ増やせばいい。檀先生も、たぶんそうやって毎日を通っていた。明日、ちょっとだけ準備をしてから寝ようと思った。それだけの話だけど、それだけのことが、この本を聴いたあとの自分に残っている。