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擦り減った心が、温かいものを欲しがる夜がある
仕事で擦り減った心に効く夜が、ある。誰かに怒られたわけでも、何か大きな失敗をしたわけでもない。ただ、一日のあいだに少しずつ削られていった何かが、家に帰り着いた頃にはもう、自分でもよくわからない疲れになって残っている。そんな夜だ。
そういう夜、私はなぜか、温かいものが恋しくなる。熱いお茶でも、味噌汁でも、なんでもいい。手のひらに伝わる温度と、喉を通っていく湯気のあるものが、その日いちばん欲しいものになる。たぶん、心が冷えているのを、体のほうが先に気づいているのだと思う。
くたびれた夜は、台所に立てない。気力がない。
だから、物語の中の誰かに、ごはんを作ってもらう夜があってもいい。
自分じゃ作れない夜なのに、物語の中の誰かが、私のぶんまで火にかけてくれる。
行き場をなくした男が、ひとつの料理店にたどり着く
『まぎわのごはん』は、修業先の和食店を追い出され、あてもなく町をさまよう赤坂翔太という青年の話から始まる。職も居場所も失い、ただ歩き続けた先で、彼は「まぎわ」という名の小さな料理店に行き当たる。
店の主人が作る出汁の、そのおいしさに翔太は心を打たれる。ひと口で、張りつめていたものがほどけていくような――そんな味だったのだろう。気づけば彼は、ここで働かせてほしいと頭を下げていた。行き場のなかった男が、ひとつの椀から立ち直っていく入口が、ここにある。
この店で出される料理が、ただおいしいだけのものではないことは、物語が進むにつれて静かに分かってくる。誰のために、どんな時間のために作られる一皿なのか。その答えがどう繋がっていくのかは、聴く人の楽しみに取っておきたい。
「ちゃんと食べる」ことが、人を立ち直らせる
この物語の芯にあるのは、「ちゃんと食べることは、ちゃんと生きることだ」という、当たり前すぎて忘れてしまう真実だ。擦り減った夜の私たちは、たいてい食事をおろそかにしている。コンビニのもので済ませたり、そもそも食べなかったり。心が疲れているとき、人はまず自分を養うことを後回しにする。
だからこそ、この本に出てくる一杯の出汁が効く。誰かが自分のために、丁寧に時間をかけて作ってくれた温かいもの。それを口にした翔太が少しずつほどけていく様子は、そのまま、聴き手の強張りもほどいてくれる。
仕事で擦り減った心に効く夜に、この本がそっと差し出してくれるのは、励ましの言葉ではない。「まず、温かいものを食べよう」という、とても具体的で優しい処方箋だ。説教ではなく、湯気で慰めてくれる。そういう物語だ。
声で聴くと、出汁の香りまで立ちのぼってくる
料理を描いた物語は、声で聴くと不思議なほど立体的になる。ナレーターは大森ゆきさん。料理を描いた物語は、声で聴くと、文字で読むのとは違う、香りのある聴き心地になりやすい。
とりわけ、登場人物が料理を口にして、ふっと肩の力を抜く――その一瞬の「間」が、朗読だと効きやすい。言葉と言葉のあいだの沈黙に、味わっている時間そのものが流れていて、聴き手も一緒に深く息をつける。
疲れて目を開けているのもつらい夜は、明かりを落として、ただ耳だけを物語に預ければいい。台所に立てない夜でも、声に作ってもらった温かい一杯を、布団の中で受け取ることができる。それがオーディブルで聴くこの本の、いちばんの贅沢だと思う。
明日の食卓が少し楽しみになる本
この本の読みどころは、ストーリーの筋よりもむしろ、温かいものを食べたときのあの安心感だと思う。物語の出汁を分けてもらったような、内側からじんわり温まる感覚がある。
擦り減った心は、大きな言葉では救われない。けれど、ちゃんと食べて、ちゃんと眠る。その小さな繰り返しの中で、人はいつのまにか立ち直っていく。この本は、それを静かに思い出させてくれる。
だからこの物語を聴いた翌朝は、いつもより少しだけ、自分のごはんを丁寧に用意したくなるかもしれない。仕事で擦り減った夜に、まず温かいものを自分に出してあげること。その小さな優しさから、明日はきっと始められる。