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自分の見方を、疑わなかった
今朝、素朴実在論というのを読んでいた。人は、自分が物事をありのままに見ていると思い込む。違う意見の人間を見ると、情報が足りないか、悪意があるからだと決めつける。そういう癖のことらしい。
疑わない。それが怖い、と思った。だって、疑わないところに、いちばん大きな落とし穴があるから。そういえば、と思い出したのが、この本だった。「レモンと殺人鬼」。このミステリーがすごい!大賞を獲った作品。どんでん返しが大好きな人向け、という前評判は聞いていた。だから身構えていたつもりだった。つもりだった、というのがもう、負けている。
レモンの匂いがした
中身には触れない。触れられない、というのが正しい。ネタバレ厳禁の作品だから、迂闊なことは書けない。ただ、聴いている間ずっと、酸っぱい匂いがついて回った気がする。レモンという言葉が出るたび、何かの伏線みたいに引っかかった。
物語の途中まで、私は「わかっている」つもりで聴いていた。誰が何を考えていて、この先どうなるか。予想する自分がいた。乙宮あゆみさんの声が、その予想の後ろをすっと通り過ぎていく。何気ない台詞に、後で戻ってくる意味が仕込まれていた。気づいたのは、ある一文のところだった。
見ていたのは、真実じゃなかった
この本の芯は、たぶんそこにある。読み手が「自分は正しく見えている」と思い込んだ瞬間を狙って、足元をすくう。素朴実在論そのものだ。私は物語の中の誰かを疑わなかった。疑わなかったせいで、鳥肌が立った。
怖いのは、犯人でも、事件でもない。自分の見方が、こんなにあっさり作られたものだったという事実。ミステリーを読む楽しさって、結局これなんだと思う。自分の目を、いったん壊してもらう楽しさ。
声だから、崩れた
文字で読んでいたら、たぶん先を急いで、伏線を読み飛ばしていた。オーディブルだと、そうはいかない。声のスピードでしか進めない。乙宮さんの声は、平静なところは平静に読む。感情が動くところだけ、わずかに揺れる。その揺れの一点が、伏線の場所を教えてくれる。
耳で聴くというのは、目で追うより不自由なはずなのに、この本に関しては、その不自由さのおかげで騙された。急げなかったから、まんまと引っかかった。
残ったのは、疑う癖
聴き終えて、しばらく黙っていた。物語の結末より先に、自分の中に残ったのは「自分の見方を、簡単に信じすぎていた」という感覚のほうだった。
素朴実在論の話を読んだ朝に、この本を選んだのは、たぶん偶然じゃない。見えているものが全部だと思い込む癖を、今日は二回、別の場所から指摘された気分。どんでん返しは、物語の中だけの話じゃないのかもしれない。