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見ているものが、真実とは限らない
今朝、素朴実在論という言葉を知った。人は無意識に、自分は物事をありのままに見ていると思い込む。違う意見の人は、情報が足りないか、悪意があるからだと。ただの思い込み。なのに、本人の中では、いつの間にか確信に変わっている。誰かと対立するとき、たいていこれが起きている。今日学んだばかりの、地味だけど怖い話。
そういえば、この本は。「十戒」。島に集まった九人が、お互いを疑いながら、自分の見方だけを頼りに動いていく話だった。読み始める前から、少し息が詰まる気がした。
殺人犯を見つけてはならない、という戒律
浪人中の里英は、父と一緒に、叔父が所有していた枝内島に来ていた。リゾート施設を開くために集まった、九人の関係者たち。そこで、事件が起きる。犯人を見つけてはならない。それが、彼らに課された戒律だった。
普通のミステリーなら、犯人を見つけることが目的になる。この話は逆。見つけることそのものが、罪になる。探せない。でも、疑わずにはいられない。その板挟みの中で、九人が、自分の見た景色だけを根拠に、少しずつ疑い合っていく。誰が何を隠しているのか。結末がどう転ぶのかは、書かない。聴く人の楽しみに、そのまま置いておきたい。
疑うことにも、戒律がいる
素朴実在論の怖いところは、自分が疑っている自覚すら持てないところにある。自分は正しく見ている、と思ったまま、隣の人を疑う。「十戒」の九人も、たぶんそう。誰も嘘をついているつもりはない。ただ、自分の見え方を、一度も疑わなかっただけ。
見つけてはならない、という戒律は、最初は理不尽に思えた。自由を奪う縛りだと。でも聴き終わる頃には、違う響きに変わっていた。見つけようとする前に、まず、自分の見方を疑え。そう言われている気がしてきた。戒律は、犯人からでなく、自分の思い込みから、身を守るためにあったのかもしれない。
声が、疑いを育てる
村上麻衣さんの声で聴いた。文字で読むミステリーは、つい先を急いでしまう。耳だと、そうはいかない。一人ずつの台詞に、間がある。言葉の途中で、声がほんの少し揺れる瞬間がある。その揺れを拾った瞬間、こっちの中で新しい疑いが立ち上がる。
目で追っていたら、きっと見落としていた。声には、書き手も隠しきれない何かが、わずかに残る。それを聴き取れるかどうかは、こちらの耳にかかっている。試されているみたいで、途中から、ずっと息をひそめて聴いていた。
聴き終えて、残ったもの
島の九人は、自分の見方を、最後まで疑いきれなかった人たちだった。私も、たぶん同じ。今朝知ったばかりの素朴実在論という言葉が、聴き終えた今になって、やっと自分の話として腑に落ちた。
誰かを疑う前に、まず自分を疑う。たったそれだけで、見えている景色は、少し違って見えてくる気がする。「十戒」は、そのことを、声を荒げることなく、でもはっきりと、教えてくれた本だった。