光のとこにいてね

MIMIBUNKO

「光のとこにいてね」オーディブル版 ― 会えない時間のほうが長かった二人のことを

2026.09.11

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頻繁に会うこと、と、書いてあった

今朝、所属欲求理論というものを読んでいた。1995年の論文。人が誰かと繋がっていたいと思うのは、食事や安全と同じくらい基本的な欲求なんだそうだ。趣味でも道楽でもなく、生きるのに要るもの。そこまでは、まあ、そうだろうなと思って読んでいた。

引っかかったのは条件のほうだった。所属欲求が満たされるには三つ要る、と書いてある。頻繁に会うこと。持続すること。互いに感情的な配慮があること。この三つの掛け算だ、と。

頻繁。持続。読みながら、少し反発した。じゃあ、会えなかった相手はどうなるんだ、と思った。何年も会っていない。連絡も取っていない。それでも、こちらの真ん中にずっといる人。あれは、掛け算のどこにも入らないのか。……そこで、この本を思い出した。

団地の片隅で、二人が出会う

一穂ミチさんの「光のとこにいてね」。小学生の女の子が二人、古い団地で出会うところから始まる。結珠と果遠。名前も、育ちも、住んでいる世界も違う。

片方は、きちんとした家の子。習い事がある。母親の目がある。もう片方は、そうではない。着るものも食べるものも、揃っていない。二人が出会う場所が、その団地の片隅だった。

普通なら交わらない。交わっても、続かない。実際、二人はすぐに引き離される。子どもだから、自分では何も決められない。会いたいと思っても、会えない。それだけのことで、時間が過ぎていく。

この物語は、そこから二十数年を追いかける。少女、十代、大人。三つの時間が置かれている。会っている時間より、会えていない時間のほうが、ずっと長い。

この二人の時間を、耳から辿ってみたい人へ。
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掛け算にならないものが、たしかにある

聴きながら考えていたのは、朝読んだあの三条件のことだった。頻繁でもない。持続もしていない。連絡すら途切れている。なのに、この二人はお互いを手放していない。

たぶん、論文が間違っているわけではない。あれは平均の話で、多くの人にはその通りに効く。ただ、平均から外れたところに立ってしまう人がいて、そういう人のことは統計では拾えない、というだけだ。

この本が書いているのは、そこだと思う。頻度でも持続でもなく、一回の濃度で決まってしまった関係。会えないまま、それでも相手の側に自分の一部を置いてきてしまった人たち。

だから途中、苦しい。二人はそれぞれの人生を生きている。結婚もする。仕事もする。日々はちゃんと回っている。回っているのに、埋まらない。埋まらないまま、何年も過ぎる。ここが一番きつかった。誰も悪くない。誰も間違っていない。ただ、会えないだけ。それだけで、人はこんなに欠けたままでいられるのか、と思った。

松本沙羅さんの、ためらいの残る声

この作品を耳で聴いてよかったと思うのは、二人が別々に語る構造だからだ。視点が入れ替わる。同じ出来事を、違う側から見る。

松本沙羅さんの読み方が、その切り替えを声色の変化でやらない。芝居で分けない。そこがよかった。ただ、同じ静かなトーンのまま、内側の温度だけが違う。だから聴いているこちらは、耳で聴き分けるというより、いつの間にか向こう側に立っている。

それから、少女の頃の場面。子どもの声を作りにいっていない。子どもの言葉を、大人が思い出しながら口にしているような読み方だ。この距離が正しいと思う。あれは回想だから。回想の温度で読まれると、聴いているほうも自分の子どもの頃に引きずり込まれる。

一番効くのは、言い切らないところだ。台詞の終わりが、少し宙に浮く。文字なら句点で終わっている一文が、声だと言い切られずに残る。言えなかったことがある人の喋り方って、こうだよなと思った。文字で読んでいたら、たぶん気づかなかった。

聴き終えて、まだ座っている

終わって、しばらく止められなかった。何も再生していない状態で、ただ座っていた。

泣くというより、確認していたんだと思う。自分の中に、会えていない人がいるかどうか。頻繁でも持続でもない、条件をひとつも満たしていない、それでもまだ真ん中に置いてある誰か。

いる。いた。それが分かっただけで、今日はもういい気がした。

この本は、その人にもう一度会えとは言ってこない。連絡しろとも言わない。ただ、会えないまま持っていていいんだ、という顔をしている。二人が最後にどうなるかは、聴く人の楽しみに残しておく。ただ、聴き終えたあとに残るのは結末そのものではなくて、自分の側にある名前のほうだった。

朝に学んだ理論は、今も正しいと思っている。ただ、その掛け算に入らなかったもののことを、こういう本が覚えていてくれる。それだけで、今日読んだ論文の意味も少し変わった。


ここまで読んでくれた、あなたへ。
その物語の、入り口です。

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