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今朝、線の長さの話を読んでいた
アッシュの同調実験というのを読んでいた。1951年。やることは単純で、線を見せて「どれと同じ長さですか」と聞くだけ。誰が見ても間違えようがない。それなのに、まわりの人が全員そろって違う答えを言うと、32パーセントが一緒に間違える。
面白いのはここから。効くのは人数じゃない。全員一致かどうか、らしい。異議を唱える人が一人いるだけで、同調は八割減る。たった一人。しかもその後の脳の研究では、合わせている人の一部は「分かってて合わせている」のではなくて、本当に見え方のほうが変わっていた、という話になっている。
つまり、まわりが同じことを言い続けると、目のほうが折れる。それを昼間ずっと考えていて、夜、なんとなく再生ボタンを押したのがこの本だった。「理由あって冬に出る」。芸術棟にフルートを吹く幽霊が出るらしい、という噂の話。ああ、今日読んだのはこれの話だ、と思った。
誰も見ていないのに、全員が知っている
某市立高校の吹奏楽部。送別演奏会が近いのに、練習に来る部員がどんどん減っていく。理由は幽霊。芸術棟に出るという噂に怯えて、みんな夜の練習を避けるようになってしまった。
困ったのは部長で、この人がまた真っすぐな人だ。幽霊なんか出ない。出ないことを立証すればいい。そう決めて、部員の秋野麻衣と二人で夜の芸術棟を見張ることにする。ここまでは分かる。分かるんだけど、部長はもう一歩踏み込む。自分たちだけが「出ませんでした」と言っても信じてもらえない。正しいことを証明するには、第三者の立会いが要る。
呼ばれるほうの身になってほしい。冬の夜、暗い校舎、フルート、幽霊。断る理由しかない。それでも巻き込まれて、その夜の見張りが始まる。
「出ない」を証明する、という無理
聴きながら、朝の実験のことがずっと頭の隅にあった。噂って、たぶん全員一致の一種なんだと思う。誰も実物を見ていない。なのに全員が「らしい」と言う。すると、そのうち本当に廊下の奥が違って見えてくる。見え方のほうが折れる。
そして部長がやろうとしているのは、その全員一致に、たった一人で異を唱えることだ。しかも一番きつい形で。「ある」の証明は一回見つければ終わるけれど、「ない」の証明には終わりがない。今夜出なくても、明日出るかもしれない。それでもやる、と言う。
だから第三者を呼ぶのか、と途中で腑に落ちた。一人で言い張っても噂には勝てない。独立した目を、もう一つ増やす。それは気合いの問題じゃなくて、設計の問題だ。高校生がそれを、理屈でなく必要に迫られてやっている。感心してしまった。
声で聴くと、怖さの成分が変わる
この本、活字で読むと軽やかなコメディの手ざわりがあると思う。地の文がずっと喋っている。突っ込んでいる。ぼやいている。それを声でやられると、しゃべりの速度がそのまま人格になる。
ナレーションは別府なるみさん。ここがよかった。怖い場面を、怖い声で読まない。淡々としている。校舎が暗いのも、音がしたのも、同じ温度で読む。だから逆に、こちらの背中のほうが勝手に冷える。声が煽ってくれないぶん、想像が自分の仕事になる。
そして、たぶん一番よかったのは間だった。何も起きていない時間の、間。夜の見張りって、九割は退屈なんだと思う。その退屈が、ちゃんと退屈として流れる。二人が黙っている時間が音として存在する。あれは文字だと飛ばしてしまうところだ。耳だと、飛ばせない。付き合わされる。付き合わされて、こっちも一緒に夜の校舎に立っている。ちょっと寒い。誰かが息を吸う。それだけで、次に何か言うんじゃないかと身構える。この身構えが、この本の怖さと可笑しさの、両方の正体だった気がする。
聴き終えて、残ったもの
どこに着地するかは書かない。噂の正体がどうなるのかも、書かない。それは聴く人のものだ。ただ、聴き終わって残ったのは怖さではなかった。
残ったのは、一人でも違うことを言う人がいる場所は強い、という感触だった。朝に読んだ数字と同じことを、夜に物語で見せられた。三十二パーセントが折れる。でも異議が一人いれば八割減る。その一人が、この本では部長だった。ばかみたいに真っすぐで、たぶん要領は悪い。
仕事でも同じだと思う。全員が同じ方向を向いている会議はきれいだけれど、たいてい何かを見落としている。見落としているというより、見えなくなっている。だから、最初に違うことを言う人を、うるさがってはいけない。あの人はたぶん、目が折れていないだけだ。
冬の夜に聴くのがいい。寒い校舎の話だから、部屋が暖かいのがありがたく感じられる。眠れない夜、暗いまま目を閉じて、他人の見張りに付き合う。悪くない過ごし方だった。