[第1弾・1巻] シャーロック・ホームズの冒険1 ボヘミア王のスキャンダル/赤毛連盟

MIMIBUNKO

「シャーロック・ホームズの冒険」オーディブル版 ― 赤い髪は、特別で、仲間の証だった

2026.09.12

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同じでいたいのに、特別でいたい

今朝、心理学をひとつ学んだ。最適弁別性理論。1991年に、ブルーワーという研究者が出した考え方。

人は「みんなと同じでいたい」と「自分だけは特別でありたい」を、同時に持っている。どちらかに偏ると、苦しくなる。だから、ちょうどいい真ん中をいつも探している。そういう話だった。

読んで、少し笑った。わがままだな、人って。でも、嘘じゃない。自分の中にも、たしかに両方ある。そう思ったとき、ひとりの男の顔が浮かんだ。燃えるような赤毛の、質屋の主人。

仮面の依頼人と、赤い髪の広告

聴いたのは「シャーロック・ホームズの冒険」の1巻目。入っているのは「ボヘミア王のスキャンダル」と「赤毛連盟」の2編。語り手は、相棒のワトスン。

「ボヘミア王のスキャンダル」は、仮面をつけた身分の高い依頼人が、ベーカー街に現れるところから始まる。取り戻したい一枚の写真がある。相手は、ホームズがただ一人「あの女性」と呼ぶ人。どういう意味での「あの」なのか。それは聴いてのお楽しみ。

「赤毛連盟」は、新聞の広告から始まる。赤い髪の男性だけが入れる「連盟」が、欠員を募集している。質屋のウィルソン氏は応募して、選ばれる。仕事は、事務所で百科事典を書き写すだけ。それで、いい給料が出る。ところがある日、扉に一枚の紙。「赤毛連盟は解散した」。困り果てた本人が、ホームズの前に座る。本人は大まじめ。こちらは、ちょっと笑ってしまう。この妙な話がどこへ繋がるかは、聴く人の楽しみに取っておく。

赤い髪の男の、大まじめな困りごと。声で聴くと、ちょっと笑えます。
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選ばれて、しかも、ひとりじゃない

ウィルソン氏は、なぜあんなに嬉しそうだったのか。聴いていたときは、少し滑稽な人だと思っていた。人のいい、のんきな質屋さん。今朝の理論を知って、見え方が変わった。

赤い髪。それだけで選ばれる。ほかの誰でもなく、自分が。しかも、ひとりじゃない。同じ赤い髪の仲間がいる。「連盟」という居場所がある。特別で、仲間がいる。選ばれて、属している。毎朝同じ事務所に通って、同じ机に座って、同じ百科事典を写す。それが、誇らしい。わかる。わかってしまう。人がいちばん欲しい二つのものが、あの一枚の広告には、両方とも書いてあった。

滑稽なのは、ウィルソン氏じゃなかった。欲しいものを両方いっぺんに差し出されたら。たぶん私も、応募している。

階段は、何段あるか

ナレーターは吉開清人さん。ひとりで、全員を読む。落ち着いたワトスンの語り。理屈を畳みかけるホームズ。困りきった依頼人。同じ声なのに、人ごとに温度が少しずつ変わる。

訳は石田文子さん。耳で聴いても、言葉が引っかからない。百年以上前の話なのに、古びた感じがしない。するする入ってくる。

忘れられない場面がある。ホームズがワトスンに聞く。この部屋に上がる階段は、何段あるか。ワトスンは答えられない。何度も上っているのに。「君は見ているが、観察していない」。耳で聴いていると、こちらも答えられない。ページを戻して確かめることもできない。声は、ただ流れていく。見ているだけで、観察していない。言われたのは、私のほうだった。

ちょうど百年のへだたり

気づいて、少し驚いた。「赤毛連盟」が雑誌に載ったのは1891年。今朝学んだ理論が出たのは1991年。ちょうど百年。

心理学が言葉にする百年前に、ドイルはもう、人が何に弱いかを知っていた。同じでいたい。特別でいたい。その両方に手が届くと、人は少しだけ、足元を見なくなる。

ホームズは、誰とも群れない人だ。特別すぎる人。それでも、ワトスンがいる。結婚してベーカー街を出たワトスンが、ふらりと訪ねてくる場面から、この巻は始まる。特別なだけでは、たぶん足りない。誰かが訪ねてきてくれる場所があって、やっと人は特別でいられる。聴き終えて、そんなことを考えていた。


ここまで読んでくれた、あなたへ。まずは1編、寝る前にどうぞ。
その物語の、入り口です。

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