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正直、自分が手に取る本じゃなかった
白状すると、この本を本屋で見かけても、私はたぶん素通りしていた。表紙からして、若い人向け――もっと言えば、女性向けに見えたからだ。京都の、やわらかい雰囲気の一冊。学生さんが手に取るような本だな、と。
自分の趣味とは、少し離れたところにある本だな、と思っていた。中身もそういう雰囲気なんだろう、と勝手に思い込んでいた。だから、文庫だったら一生、出会わなかったと思う。
声には、表紙がない
ところが、オーディブルには表紙がない。
棚から抜き取る手も、レジに出す瞬間も、電車でページを開く姿も――「人にどう見られるか」を気にする場面が、声には一つもない。何を聴いているかは、誰にも見えない。表紙という壁が、まるごと消える。
だから私は、ふだんなら絶対に近寄らなかったはずのこの一冊を、何の気負いもなく再生していた。声というのは、思っていたよりずっと、人を自由にする入り口だった。
身構えなくていい謎解きが、ちょうどよかった
舞台は、京都・寺町三条の骨董品店。そこに、ホームズと呼ばれる鑑定士の青年がいる。物腰はやわらかいのに、骨董を見る目だけは恐ろしく鋭い。彼のもとに持ち込まれる、骨董や人にまつわる、ちいさな謎を解いていく――そういう物語だ。
これが、私にはちょうどよかった。本格派のミステリーだと、つい身構えてしまう。伏線を取りこぼすまいと、気を張って読む。でもこの作品は、ちょっとした謎を、何事もなかったように、すっと解いていく。肩の力が抜けたまま、京都の空気ごと楽しめる。
謎解きそのものは、ちゃんと面白い。それでいて、気負わせない。聴き終えるたびに、心地よかったな、とだけ残る。そういう本だった。
自分が聴いたって、よかった
聴き終えて思ったのは、たいそうな感想じゃない。自分が聴いたって、よかったんだ――ただ、それだけだった。
でも、これは私にとって、けっこう大きなことだった。表紙のイメージで、自分には関係ないと決めつけていたジャンル。その壁が、声を通したら、すっと無くなっていた。中身さえ面白ければ、誰が聴いたっていい。当たり前のことに、この一冊で、ようやく気づけた。
聞いてみよう、と思えるジャンルが、ひとつ広がった。それは、自分の世界が少しだけ広くなった、ということだ。
オーディブルだから、出会えた
「京都寺町三条のホームズ」は、私にとって、オーディブルだから出会えた一冊だ。文庫の棚の前なら、間違いなく素通りしていた。声が、その一冊と私のあいだにあった壁を、なかったことにしてくれた。
もし、表紙やジャンルのイメージで、なんとなく手が伸びていない本があるなら。声で聴いてみてほしい。表紙は、誰にも見えない。中身だけが、まっすぐ耳に届く。自分の世界が、思いがけないところで広がるのは、きっと、こういう本との出会い方なのだと思う。