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今朝、人が怒る理由の話を読んでいた
道徳基盤理論、というものを読んでいた。ハイトという人の考え方で、人が「これは許せない」と感じる、その土台が六つあるという話。ケア、公正、忠誠、権威、神聖、自由。人によって、どれを重く見るかが違う。
面白いのはここから。だから、意見が食い違っている相手は、間違っているのではない。ただ、別の土台に立っている。そう捉え直すと、かける言葉が変わる。読みながら、うん、と声が出た。仕事でも家でも、思い当たることが多すぎて。
六つ。基盤が六つ。そこで、本棚の奥から名前が浮かんできた。六色の蛹。……いや、数が同じなのは偶然だ。偶然なんだけど、その偶然のせいで、私はその日の夜、この本を再生していた。
虫を見ている人が、事件に出くわす
主人公は、エリ沢泉という青年。昆虫が好きで、虫を探して、あちこちを歩いている。それだけの人だ。肩書きもない。探偵ですらない。ただ、行った先で、なぜか事件に出くわす。
山で起きた銃撃事件。ハンターたちがいた場所での出来事。他にもいくつか、別々の話が並んでいる。連作短編のかたち。だから、寝る前に一話ずつ、という聴き方ができる。これがありがたかった。
で、彼は謎を解く。解くんだけど、解き方が変わっている。証拠を突きつけて追い詰める、みたいなことをしない。しゃがみ込んで、虫を見るときの目のまま、人を見ている。そんな感じ。
解いたあとに、もう一往復ある
この本の芯は、たぶん、そこにある。真相が分かって、終わらない。分かったあとに、もう一往復ある。
犯人にも、巻き込まれた人にも、そうせざるを得なかった何かがある。エリ沢は、それを暴くためでなく、受け取るために聞いている。正しいかどうかを裁く場所に、彼は立っていない。まさに、今朝読んだ話だった。この人は、相手を「間違っている」と見ていない。ただ、その人がどこに立っているのかを、見ようとしている。だから言葉が刺さらない。刺さらないのに、届く。責めずに近づくことが、本当にできる。人が人に対してできる、いちばん難しいことを、この青年はやすやすとやってのける。やすやすと、というより、それしかできない、という顔で。
私は、その姿勢に打たれた。裁かないことは、甘やかすことじゃない。むしろ、きちんと見る、ということだ。
この人の声だから、成立している
ナレーターは浅井晴美さん。これがよかった。
エリ沢の話し方に、力が入っていない。推理を語るときでさえ、勝ち誇らない。むしろ、言いにくそうにしている。その、言いにくさの間が、声だと全部残る。文字だと読み飛ばしてしまう、ほんの半拍。そこに、この人の優しさが入っている。
そして、事件関係者が語る場面。声が震えるところ、言葉を探して止まるところ。読んでいたら「……」の三点リーダーで済んでいた場所が、音になると、こんなに長い。人が本当のことを言うまでに、こんなに時間がかかるのかと思った。それを、待って聴ける。耳で聴くというのは、待つということなんだな、と。
聴き終えて、翌日の自分が少し変わった
聴き終えて残るのは、謎解きの鮮やかさではない。もちろん、仕掛けは効いている。どう繋がるかは、聴く人の楽しみに取っておく。
残るのは、あのしゃがみ込む姿勢のほうだ。翌日、ちょっとムッとする場面があって。そのとき、言い返す前に一拍、止まった。この人はどの土台に立っているんだろう、と考えた。朝の学びと、夜の物語が、両方から同じことを言ってきたからだと思う。
本が人を変えるなんて、大げさなことは言わない。ただ、一拍は生まれた。一拍あれば、言わなくていいことを言わずに済む。それで十分だ。