川のほとりに立つ者は

MIMIBUNKO

「川のほとりに立つ者は」オーディブル版 ― 見えているものが、全部だと思っていた

2026.08.14

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今朝、「多元的無知」という言葉を覚えた

多元的無知。今朝、そういう心理の名前を学んだ。全員が内心では反対しているのに、全員が「自分以外はきっと賛成なんだろう」と思い込んでいる状態のことらしい。だから誰も口を開かない。沈黙が「合意」に見える。

会議で異論が出ない。だから全員一致だ、と読む。それが違う場合がある、ということ。しかも説明だけでは直らないという。「実際に声を上げても大丈夫だった」という経験を積むしか、解消の手はないと書いてあった。

しばらく手が止まった。自分は、目の前の人の黙っている理由を、何回くらい読み違えてきたんだろう。そう考えていて、思い出した本がある。寺地はるなの「川のほとりに立つ者は」。あれは、まさにその話だった。

恋人が倒れて、部屋から見つかったもの

主人公は、カフェの若い店長。原田清瀬という人。ある日、恋人の松木が怪我をして意識が戻らないと病院から連絡が来る。ここから物語が動き出す。

清瀬は松木の部屋に行く。そこで、いくつかのものを見つける。それが何だったかは書かない。ただ、そこから清瀬は「自分は松木のことを、何も知らなかったのかもしれない」という場所に立たされる。付き合っていたのに。近くにいたのに。

この人は、はっきりした人だ。仕事ができて、判断が速くて、頼りにされている。曖昧なものが好きじゃない。わからないものは、わかるまで詰める。そういう強さを持っている。その強さが、この話では、まっすぐ自分に返ってくる。

誰かをわかったつもりでいた自分に、静かに触れてくる一冊です。
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「わかる」と言ってしまうことの怖さ

この本が扱っているのは、たぶん、他人を理解できると思ってしまう傲慢さのことだ。悪気はない。むしろ善意でやっている。相手のためを思って、こうすればいいのにと言う。相手が黙っていると、納得したんだと思う。

でも黙っている人は、納得したから黙っているとは限らない。言っても届かないと思っているのかもしれない。言葉にする道具を持っていないのかもしれない。あるいは、言ったら関係が終わると思っているのかもしれない。

朝に学んだ多元的無知と、たぶん地続きだ。沈黙を読み違えるということ。しかも読み違えている側は、自分が読み違えていることに気づけない。むしろ「ちゃんとわかっている」と思っている。そこがいちばん怖いところ。この本は、その怖さを、説教ではなく物語で見せてくる。誰も悪人にしないまま。誰の言い分も切り捨てないまま。それが、ずっと苦しい。

耳で聴くと、黙っている時間まで聞こえる

この作品のオーディブルは、大西綺華さんと吉野貴大さんのお二人。声が二つあるということが、この物語ではとても大きい。

文字で読むと、視点が変わるところは行が空くだけだ。目が勝手にまたいでいく。でも声だと、話者が変わった瞬間に、空気ごと変わる。同じ出来事を、別の人が、別の温度で語り直す。その落差が、耳だと逃げようがない。ああ、この人にはこう見えていたのか、と、体で受け取ってしまう。

そして間だ。返事をしないところ。言いよどむところ。文字なら数文字の余白が、声だと本当に沈黙になる。その沈黙の長さを、こちらは聴かされる。何を考えているのかわからない相手の時間を、そのまま持たされる感じ。この本にとって、それは飾りじゃない。たぶん、本体に近い。

聴き終えてから、少し人にやさしくなった

読み終えて、というより、聴き終えて、しばらく黙っていた。

誰かの黙っている顔を思い出していた。あの時、あの人は納得していたのか。それとも、言ってもしょうがないと思っていたのか。今となっては確かめようがない。確かめようがない、ということだけが残った。

でも、これからのことは変えられる。相手が黙った時に「わかってくれた」と決めつけない。それだけでいい。それだけのことが、ずいぶん難しい。朝に学んだ心理学の言葉と、夜に聴いた小説が、同じところを指していた。こういう日は、たまにある。

誰かを許したくなる夜、という言い方がある。この本は、許すというより、決めつけをひとつ手放させる本だと思う。手放したぶんだけ、少し楽になる。自分にも、相手にも。


ここまで読んでくれた、あなたへ。
その物語の、入り口です。

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